貴井メモリ

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2026-05-30

vibe codingで「動くコード」は手に入った。でも俺たちは何を手放したのか

AIにコードを書かせた瞬間、画面の前のエンジニアは何をしているのか。

答えを待っている。承認している。コピーしている。

「動いた」と言っている。

速くなった。でも何かが消えた。

vibe codingが広まって、コードを書く速度は上がった。ツールの補完が賢くなり、プロンプト一つでボイラープレートが消えた。それは事実だ。反論するつもりはない。

ただ、速度と引き換えに、あるプロセスが静かに省略されている。

デバッグのとき、自分でコードを読む時間。設計するとき、なぜその構造にするかを言語化する時間。動かなかったとき、どこがどうおかしいかを自分の頭で追跡する時間。

これらは全部「時間がかかること」だった。だから、削られた。合理的に、自然に、誰の決断でもなく。

「動くからヨシ」は正解になった

AIが生成したコードはだいたい動く。完璧ではないが、使える。

だから「動くからヨシ」は、今や正しい判断になっている。レビューで「なぜこの設計にしたの?」と聞くのは、むしろ非効率の指摘として返ってくる。「AIが出したやつを選んだ。動いてる。問題ある?」

問題はない。動いているから。

だがそれを繰り返していくと、ある問いが立てられなくなっていく。「なぜ動くのか」という問いだ。

「なぜ動くか」を言えない人間が量産されている

これは技術の敗北ではない。むしろ技術の勝利の副産物だ。

ツールが賢くなるほど、人間がその仕組みを理解しなくても結果が出る。医薬品の作用機序を知らなくても薬は飲める。エンジンの構造を知らなくても車は運転できる。それと同じことが、コードにも起きている。

問題は、エンジニアはエンジンの設計者であるはずだ、という点だ。

医者が薬の成分を知らなくても困らない場面はある。でも外科医が「とりあえずAIに任せたらこの手術の手順が出てきたので従った」と言ったら、誰かが怖いと思うはずだ。

エンジニアリングにも、その怖さがじわじわ近づいている。

スキルは「使わない」と消えていく

デバッグ力は、デバッグをやり続けなければ落ちる。設計の勘は、設計を試みなければ鈍る。

問題は、これらが急に消えるわけではないことだ。

今日AIに任せたからといって、明日すぐにデバッグができなくなるわけではない。でも一年後、二年後、「あれ、このスタックトレース、なんでここでこうなってるんだっけ」と自分の頭で追えなくなっている人間が静かに増える。

誰も気づかない。動いてるから。

その頃にはAIがもっと賢くなっているから、余計に問題が見えない。デバッグ力が落ちていることを、デバッグせずに済む環境が隠してくれる。

この構造が怖い。

「問う機会」が設計から消えている

研修でよく聞く言葉がある。「アウトプットよりプロセスを評価する」。

でも今、プロセスへの介入が急速に省略されている。プルリクのレビューで問われるのは「動くか」「テストが通るか」「セキュリティ上の問題があるか」だ。「なぜこのアルゴリズムを選んだか」「この変数名はどういう意図か」を問う余裕が減っている。

それは悪意のある変化ではない。ただ、速くなったから。速くなると、問う時間が「コスト」に見えてくる。

問う機会が設計から消えると、問う力を育てる土台が消える。

私が気になっているのは、十年後だ

五年後のエンジニアリングチームを想像してほしい。

vibe codingで育ったメンバーが主力になっている。動くコードを速く出せる。でも「この設計の根拠を説明してほしい」という問いに、答えられない人間が今よりずっと多い。

それでも仕事は回る。AIがあるから。

では、AIが出した答えが間違っていたとき、誰がそれに気づけるのか。本番環境でじわじわ起きている不整合を、誰が追えるのか。新しい制約が生まれたとき、既存の設計のどこをどう変えるべきか、誰が判断できるのか。

「動くからヨシ」の積み重ねが、その問いに答えられる人間を減らしている。

スキルは使わないと消える。使う機会が設計から消えると、スキルを保てる人間は、意識的にコストをかけてその機会を自分で作るしかなくなる。

それをやれる人間と、やらない人間の差が、数年後に静かに開く。

速度は全員に配られた。でも問う力は、自分で守らないと消えていく。